2008年07月01日

タバコについて

 私は子供の頃から父が好きでなかった。その父はタバコをよく吸った。父が吸うからタバコが嫌いになったのか、タバコの臭いが嫌でそれを吸う父が嫌になったのか、よく分からないがたぶんその両方だ。とにかくタバコへの憎しみは半端でなかった。

 過去形で書いているが、今はそこまで憎む気が起こらない。虐げられて、小さくなって、憎むに及ぶほどの脅威を感じないからだと思う。
 脅威でないどころか、今日の喫煙に対する仕打ちはあまりにひどく、心底嫌煙者の私ですら同情を禁じえない。

 タバコの自販機を巡って、「タスポ」というカードが導入されたところである。いろいろ見方もあろうが、基本的には合理的な措置だと思う。身分証明書にもなるなら、自動車免許証だけがすべてではなくなる。ところで、タスポを導入したために、タバコの自販機を深夜に止める理由がなくなり、夜中じゅう稼動させるそうだ。今はエネルギーがうるさいから、嫌煙家にとっては面白くないだろう。私自身も、今まで深夜に売っていなかったのなら、わざわざ拡大する必要はないと感じる。しかしそれは嫌煙家の理屈だ。エネルギーを盾にとるなら、ジュースの自販機の方が問題である(冷やしているからである)。もっと言えば、重さが違う(運搬コストが全然違う)し、自販機の台数も全然違う。

 最近は、人を殺したら死刑、タバコは有害だから禁止、という具合に殺伐としてきた。その正義は自分とその周囲が立つ、極めて片面的なものであるという自覚がない。なるほど殺人が良いわけはないが、たとえば、多くの人が尊敬する織田信長なる人物は、その一生でどれだけの人を殺しただろうか。こういうことを言う人は私の他にもいるが、数で負けてしまうので「殺人を正当化する狂人」という扱いを受ける。決して殺人を正当化しているわけではない。一方、自分が狂人でないと否定しきることはできないが、それは私だけではない。自覚して欲しいのはその一点だけなのだが、それを言うとまた狂人扱いを受ける。堂々巡りで偏見だけが深まっていく。

 いろんな背景があって、タバコがあり、その他のいろいろなものがある。自分もそのなかにいる。 
 殺人者に同情の余地はないという感情的な問題と、ただちに死刑にして当然という法的な問題を混同してはならない。タバコもまた然り。
posted by あらやしき at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 生について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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