2017年06月15日

君、ちょっと行ってくれないかすてごまになってくれないか

冬空に肌を曝して立木あり自己犠牲とはすなわち犠牲(森本平)
 例によって少し前のことですが、中日の荒木選手が2000本安打を達成しました。
 今年は2000本に達する可能性の高い選手が多いと開幕前から話題でしたが、中でも一番近い選手でした。
 おめでとうございます。それに祝福ムードがより強いように思われます。関係者の間でも、少なくとも当初は、守備はともかく打撃については2000本を打つほど期待されてなかった、という声も報道されています。
 それとよく聞いたのが「自己犠牲を強いられる二番という打順にあって、2000本を達成したのはすごい」と。
 美談になっている。

 簡単にいえば、送りバントをさせられたり、進塁打を狙わざるを得ない機会が多いにもかかわらずヒットを量産したのはエライ、ということだが、どうも納得がいかない。
 いや、決して荒木選手を批判したいのではなくて、自己犠牲が美化されているのでは、ということ。
 打撃が優れていなかった選手が努力を重ねて安打を積み重ねることと、自己犠牲を強いられたにもかかわらず、という話は別だ。
 もっといえば、2番荒木の頃は打撃よりも守備が評価されて使われていて、打つようになってからは井端選手に代わって1番を打っていたように思う(あの頃は強くて嫌らしい敵だったのでよく見ていた)。なんにせよ、2000本打つ間ひたすら自己犠牲を強いられていたわけではない。

 そもそも自己犠牲ってなんだ? 自己以外に犠牲にするものは、それは犠牲じゃなくて強要だろう?
 荒木選手の祝福ムードとは裏腹に、普段耳慣れない言葉使いに非常に違和感を感じたスポーツ中継のハシゴでした。
posted by あらやしき at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月09日

「借金取りの王子 −君たちに明日はない2−」読了

「借金取りの王子 −君たちに明日はない2−」(垣根涼介 著/新潮文庫)

 表現力:★★★☆
 読み易さ:★★★★
 終わり方:★★★☆
 総合 :★★★☆

 文句を言いながら結局読んだ。
 前作繰り返されたいやらしい描写が全くなくなり、文章全体からもアクが抜けた。
 「前回までのあらすじ」も随所に差し込まれ、業界の解説なども分量が多くなり、読者にとっては読み易いものになった。

 ただしこれは作者の努力ではなく編集の意向と思われる。前作の反響を汲んでそのように変化させた。
 穿った見方をすれば私が評価している「読み易さ」を感じさせる箇所を、作者自身が本当に書いたのか疑問を感じる(前作と違いすぎる)。別に本人が書いてなくてもどうでも良いことだけど。
 各話の終わり方は相変わらずの尻切れトンボなので、大部分を作者自身が描いていることは疑っていない。それとこういう終わり方は世間的には評価が低いが私は個人的には好みだ。
 もっとも、結末を書かずに読者に委ねることが余韻を持たせる効果を生むのか、はたまた無責任に投げ出したと映るのかは、それまでの物語の紡ぎ方によるので一概には言えないが。

 ともあれ、本作のような娯楽作品を捕まえてしかめ面でああだこうだ言っても仕方ない。
 パラパラめくって「あー読んだ」で終わり。まずは読まないことには(つまり読み易くないことには)続きが売れない。というわけで売る(編集)側の前提で考えれば前作より良くなっている。

2017年06月03日

「ただでさえあの黒川の野郎と比べられて、胸クソが悪いって言うのに、よ」

Hey! 脂乗ってきた色々苦労もしてきたバリバリ働き盛りの何でも御座れの三十路だ
仕事も遊びも本気なんだがだけど何かが足りないんだまだまだまだまだ間駄麻堕摩惰魔打
忘れらんない
ゴールデンボンバー「死 ん だ 妻 に 似 て い る」より

「君たちに明日はない」(垣根涼介 著/新潮文庫)

 表現力:★★★
 着想: ★★★★
 読者サービス:★★★☆
 総合 :★★★

 読んでいて黒川博行(「後妻業」)に似ていると思った。
 作風と読者層だけでなく、キャラの描き分けがない、キャラが息をしていない(会話も地の文も、各キャラの声や言葉ではなく作者の声や言葉にしか聞こえない)ところや、語彙が乏しいところ等、目につく短所も同じ。
 この短所も含めておじさんに好まれるのだろうか。私には良さが分からないけど。

 「後妻業」は目の前の1ページをめくらせさえすれば良いという書き方で全体のことは考えられていなかったが、こちらは続編ありきで、一編単位で構成されている。その構成力、完成度、文章自体も一枚上手だが、反面、思わず引き込まれるところがない。
 その理由を考えていると悪者がいないことに気づいた。リストラの話を描いているのに悪者がいないとは、なんと「ナマ」な作品か。「旧友」とかもう、ぬるすぎてむずがゆい。続編ありきとはいえ、主人公と女の関係も甘ったるすぎてサービスの域を超えている。

 で、ここまで書いて「あとがき」を読むと、「小説は、魅力的な人物像を描くことがもっとも重要だと、私は考えている。」と一行目に一行で書いてある。昔のギャグ漫画みたいにずっこけそうになった。
 タイトルは(作中の)黒川の台詞なので、本文は「黒川」ではないが、固有名詞につき都合の良いように改変した。本文から抜くときはそのまま抜くように心がけているので今回だけ特別に見逃してやってください。
 黒川(博行)に似てるなあと思って読み進めてたら黒川が登場したので驚いた。作者も意識してるのかしら。

 他人から譲ってもらった本で、既に手元に続編が揃っていますが、疲れたときの息抜きに……読むかなあ。

2017年06月01日

USGが気になりだす

GRAPEVINE presents GRUESOME TWOSOME (5/28 Zepp Osaka Bayside)

UNISON SQUARE GARDEN
01:エアリアルエイリアン
02:ライドオンタイム
03:オリオンをなぞる
04:マジョリティ・リポート(darling,I love you)
05:CAPACITY超える
06:桜のあと (all quartets lead to the?)
07:クローバー
(MC)
08:ガリレオのショーケース
09:天国と地獄
10:シュガーソングとビターステップ

GRAPEVINE
01:ふれていたい
02:Golden Dawn
03:FLY
(MC)
04:EAST OF THE SUN
05:Wants
06:豚の皿
07:here
(MC)
08:Arma
09:覚醒
10:JIVE
11:疾走
12:吹曝しのシェビィ
----------------------
01:スロウ
02:KOL(キックアウト ラヴァー)
03:光について(vo.斎藤宏介)


 UNISON SQUARE GARDENはライブ初参戦なので、タイトルはこちらからつけようと思っていた。それにふさわしい歌詞も複数あった。「世界中を驚かせてしまう夜になる」とか。
 けど、おじさん達の方が一枚上手だった。最初のMCでユニゾンをUSGと略し、妙なコール&レスポンスだなとは思ったけど、いつもの「ここが唯一のコール&レスポンスなんでね。この先無いんで。」に流されて、普通に曲を聴き進めてしまった。
 そして豚の皿でまんまと嵌められてしまった。ここは桜島だが、それ以前に大阪で、彼らの地元だ。
 私の地元でもあるんだけどなあ。

 ユニゾンは以前よく聴いていたので懐かしさも感じたが、やっぱり新譜(「Dr.Izzy」)が素晴らしい。最近はあまり聴いてなかったけど、とうとう殻を突き破ったというか、スタイルを確立したという気がする。ライブ自体は圧倒されるパフォーマンスではなかった(「シュガーソングと〜」は滑舌良すぎて逆に流れが悪かった)けど、ワンマンではないのでなんとも言えない。この先ワンマンに行くかどうかはわからないけど。

 とはいえ、私はじめGRAPEVINEのライブに来るようなひねた観客相手に堂々の演奏ぶりだった。それに敬意を表して最後の「光について」では手を上げて応援した。
 でも、手上げてたの私だけだった。真ん中よりも後ろにいたけど。
 緊張してるだろうに一生懸命歌っているんだから、もうちょっと温かい気持ちで応援してあげたら良いのに。もちろん共犯関係とはいえきっと絆なんか無いんだけども。
posted by あらやしき at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味2(邦楽など音楽) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月24日

口に入れるものが美味しいということが、いま、自分が正しい場所にいる証明である気がします。

「ギンイロノウタ」(村田沙耶香 著/新潮文庫)

 表現力:★★★★
 構成力:★★★★
 完成度:★★★★
 総合 :★★★★

 * ★は1点、☆は0.5点。5点満点です。
 イメージ的には★5は100点満点の120点、以下☆ごとに15点差。

 表題作は完成度が高く、物語が有機的につながっていて、つまり一言でいえば「上手かった」。
 ただ、百点満点のその上を突き破るものはなかった。

 以下、内容について。
 二つの作品のどちらも、思春期の少女がねじ曲がる様子をつぶさに描いた作品だが、ねじ曲がった要因が家庭にあることは明らかだ。ただし表題作に描かれているように、主人公は「いつまでたっても」「どうしてもそれが自分のせいではないとさりげなく匂わせ」て責任を「逃れようと」し、そのためなら「どんな卑怯な手でも使う」。つまり、自分がねじ曲がったことを家庭(=両親)のせいにすること自体が「責任逃れ」体質の現れともとれる。
 人間に大なり小なり問題があるのは避けようのないことで、それは親であっても教師であっても変わらない。多少そういう人間たちから(遺伝から始まって、そのあともずっと)悪影響を受けようとも、自分の人生は誰も代わってくれないのだから歯を食いしばって頑張るしかない。
 にもかかわらず、主人公はどちらもヘタレで他人に甘えてばかりいる。
 作者がこういう話の流れにしているのは、とりもなおさず世間が今そうだからだと理解する。

 なにかといえば「私は悪くない」と、謝罪会見を開いてもなお責任逃れを図る大人ばかりだ。土下座して号泣しようとも、それが計算ずくのパフォーマンスであることは見え見えで、本当に自分が悪いと思っていたら逆にできないような態度だ。
 そういうことを踏まえて読めば、本作はかなり社会的な色合いの濃い作品だともいえる。ただし、作者は午後のテレビのコメンテーターよろしく社会を批評したり、あるいは教科書的に理想論を言いたいのではない。現代に生きる者として、現代にあるもの(ニュータウンや灰色のビル群)を題材に、現代にある問題をカエルの解剖よろしく開いて見せている。
 その描き方は(現代の)問題を分析するというよりも読者の身につまされる方へ作用する。
 本作を読んで自分も一歩間違えればこうだったと思えない人はさぞ幸せだろう。

 「ひかりのあしおと」で呪文として象徴的に使われるカタカナを、表題作でタイトルに用いている。
 世界との距離を適切に取れない主人公の稚拙さと悲哀が端的に表されている。
 ――と分かっていても、私は「銀色の扉」(と題された本作)が読みたかったなあ。
 せっかくここまで描かれるなら、(もっと作品に近視眼的になって)どっぷり中二に浸かったどうしようもない作品が読みたかった。(カタカナにすることで)最後の最後で突き放された気がしなくはない。もっとも、「自分に責任がない」体質はそれでこそ描けるともとれるけど。

2017年05月21日

「幸いは降る星のごとく」を読んだ。

「幸いは降る星のごとく」(橋本 治 著/集英社文庫)

 表現力:★★★
 考察 :★★★★
 収拾 :☆
 総合 :★☆

 これがスラスラ読める駄作というものです。
 まあ、(「夜と霧の隅で」を読んだ後の)箸休めにはちょうど良かった。

 ブスへの考察と分析は深いが、そもそも小説になっていない。
 別に本作が小説でも小説でなくても、どっちでも良いことだが、一応小説と言われてこちらも小説のつもりで読んでいるので、それなら小説と思えない作品は評価できない。

 こういう文章の書き方をする人は(少なくとも私からすれば)無尽蔵に本を書けるだろうなと思う。ページの無駄遣いという概念が頭からない。たくさんの素人が限られた字数でなんとか編集者の目に留まろうと四苦八苦するなか、こういう人がいて思いつくままに書き散らして「小説」と言ってしまってそれなりに売れるんだから世の中不公平ですね、という以外に感想がない。
 むろん世の中が不公平なことが作者のせいではないが。

 それにしても第四話はあまりにもひどい。編集者も少しは仕事しろよ。
 こんな本を世に広めて恥ずかしくないのかしら。
 私が作者だったら恥ずかしくないけど、編集者だったら恥ずかしいけどな。売れれば何でも良いのか。

2017年05月20日

つまり、たわごとのように編むのだな。

ロボトミー ロボトミー 花散る夜をかいで
ロボトミー ロボトミー 支離滅裂と泣いて
ロボトミー ロボトミー 嗚呼 君を機械に変えて
ロボトミー ロボトミー 改造ペニスのロボトミー
アブラカタブラ…… アブラカタブラ……
THE YELLOW MONKEY「Morality Slave」より


「夜と霧の隅で」(北 杜夫 著/新潮文庫)

 表現力:★★★★★
 現実感:★★★★★
 狂気 :★★★★★
 総合 :★★★★★

 「ティンブクトゥ」の以前から読んでいて、何度も挫折してその都度後回しにしては再読し、このところ少し冊数を読んだのでその勢いで、と思ったがやはり頁を繰る手が止まり、しかしとうとう読了した。読みはじめから一年くらいかかっただろうか。難敵だった。
 「ティンブクトゥ」のときにも書いた(さらに前に「海と毒薬」のときにも書いた)が、頁がなかなか進まなかったり、あるいは読むこと自体を中断させられるような作品が駄作だと考えるのは見当違いにもほどがある。もちろん世の中には読むに堪えない駄作もあるが、頁を繰る手が止まらないから素晴らしい作品と考えるのはおよそ筋違いである。それは商業上の話でしか当たらない。つまり頁がどんどん進む作品ほど、読者は次を買わないといけないから売り手はどんどん儲かる(から売る側にとって良作である)、と。それ以外の意味では一切あてにならない。頁がどんどん進んでも駄作は駄作。一向に進まなくても名作は名作。

 前置きが長くなったが、これは頁が進まない名作だ。そもそも私は素晴らしい作品がすらすら読めるほど頭が良くできていない。そして本作は素晴らしい作品だ(と直感した)がどこがどう素晴らしいのか、私は的確に読解できていない。ただこの一年ほどの逡巡のうちに「霊媒のいる町」を十回以上読んだ。短編だからすぐに読み終わるが、ただ十回以上読んでも意味が分からない。意味は分からないが面白い。
 そして最後の表題作を読んで理解した。この作者は狂っているということを。

 最後に全体の半分近い分量の表題作があって、しかも重厚なテーマでがっつり書かれていると、表題作を読み解く題材としてその他の作品を捉えがちだが、読み終わって感じることは、表題作が他の作品の補足や解説的な働きをしていることだ。
 私は何度も読んでも理解できず、また何度も読み進めるのに詰まったが、その原因の一つは表題作を読まないままでいたからだ、と、読み終わった今になると感じる。ひらたく言えば表題作が「一番分かり易い」。テーマは重いけど。

 表題作を読んで圧倒的に感じたことはそのリアリティだ。これは小説だが、私にとって現実以外の何ものでもない。ここまで現実を感じるということは、つまり虚構なのだろう、という仕方でしか、これが虚構であることを理解できない。

 読み進めにくいかもしれず、なかなか他人に面と向かって勧めるのは難しいが、しかし狂気と理性のせめぎあいのぎりぎりのところをいく本作が面白くなくて何が面白いというのか。難解な作品を読んだ俺エライ的な意味ではなく、知的冒険という読書の起点に立ち返って、全評価満点とします。
 上に書いた通り、私自身未だ読解できていません。これは祈りです。

 ふざけた選曲はユーモアも好んだ作者へ捧げる精一杯の洒落です。
 「夜霧よ今夜もありがとう」(石原裕次郎)と悩みましたが、ちょっと洒落がキツすぎるかと思って外しました。作者の世代的にはこっちの方が良かったかしら。

2017年05月17日

抑えがたい怒りの感情

 さいきん、なぜか知らないが怒りっぽくなってしまった。

 はじめから話すと、私はもともと「いらち」(注:大阪弁でせっかち、短気な人の意味)で、話が噛み合わないとすぐに怒り出す人間だった。
 あるとき(20歳くらいのとき)、その性格がもとで友人や周囲の人をひどく傷つけたことが立て続けに起こり、自分で反省して「もう怒ることはしない」と決め、それから今度は、逆にまったく怒らなくなって(客観的にみても)ずいぶんのんびりとした人間になったらしい。

 会社に入社してからも、怒るべきポイントで怒ることをしない(我慢しているのではなく、そもそも怒りの感情が湧かなかった)ため、周囲からは感心半分、残り半分は馬鹿にするような調子も含まれていたが、それに対してもやはり全然腹が立たなかった。
 もう怒らないと決めたのだ。

 ところが、さいきん怒りが抑えられないのだ。
 それも昔には感じたことのなかった、腹の底から煮えくり返る、抑えがたい怒りだ。
 よくニュースなどで「カッとなって」人を刺した、みたいな報道がなされるが、私にはまったく想像できなかった。そんなことがあるはずがないと。調書を書く段階で警察官が適当に「そういうことにしとけ」みたいな感じで書いているものだと思っていた。
 それが先日、生まれて初めて「カッとなった」。
 別に人を刺してはいないし、大勢の前で怒鳴ったりもしなかったけど、一瞬本当に抑えられない感覚があった。これは確かに、事と次第によっては人を刺すところまであり得ると分かった。
 別にどうしても許せないことがあったというほどでもない。ごく些細な行き違いの類だ(今となってははっきり覚えてさえいない)。

 もう怒らないと決めたのはどこへやら、ひとたび怒りの感情に取りつかれると(先も書いたように)抑えられない。キリスト教によれば人間には七つの大罪があるとかで、そのうちの一つに「憤怒」(Wrath)があるといわれるが、なるほど「怠惰」や「暴食」と並ぶ、抑えがたい衝動だ。

 短気は損気という言葉もあるように、怒って良いことなどまずない。それがわたしが怒りを禁じたこの十年あまりの間に悟ったことだ。
 自分が怒るべき場面が来ても怒らずにいるとどうなるかというと、そのうち相手が勝手に謝ってきます。別に私は怒ってもいないので、文字通り、勝手に謝ってきます。
 いつまで経っても謝ってこないで一向に平気な人とは自然と距離ができるので、なにも困ることはなかった。

 そういう人間のままでいられるものと思っていたが、なぜか「怒り」を知ってしまった。それも以前のような「イライラ」で抑えられるものではなく、「カッと」体が燃え上がる、本物の怒りである。
 どうしてそうなったのかはわからないが、こうなった以上はできるだけ抑えられるように対策を講じるしかない。
 何か良い方法はないものか、と、周囲の人間を見るが、私の周囲の短気な人間は当り散らすばかり(私が怒らないと知っている人などは特にひどい)で、まったく参考にならない。
posted by あらやしき at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月10日

深酒

 「ほろよい」ていう商品ありますね。言葉の意味わかってるんですかね。あれ。
 「へべれけ」とか「べろべろ」とかに改名しないと。

 半分も飲まないのにべろべろに酔って、イスに座ってられなくて寝てしまったんですけどね。
 起きたら誰もいなくなってて、テーブルもすっかり片付いて、缶も逆さまになって流し台にあったんですね。

 あんなもの残りの半分以上も飲んだら酩酊状態になって命にかかわると思うんですがね。

 妻は平気な顔で「あんなもので酔えるはずがない」って言うんですね。
 同じ人間とは思えないですね。

 読者の皆様もお酒の飲みすぎには気を付けてくださいね。
 私はというと、いつもよりすっきり目覚めて良い感じですね。
 おかしいな。すぐにその場で寝てしまうほどべろべろに酔っぱらったんですけどね。
posted by あらやしき at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

「トリツカレ男」

 「トリツカレ男」(いしいしんじ 著/新潮文庫)

 表現力:★★★★
 ベタ :★★★★
 「推薦図書」:★★★★
 総合 :★★★★

 何のひねりもない一本道のピュアなラブストーリー、皆さまの予想通りの安定のハッピーエンド、スカッとさわやか読後感――
 そんな「私がこの世で一番嫌いなタイプの話」「というかもう死に絶えて、今ではそんな話あるの? というような話」を楽しく読めるなんて、やっぱりこの人は天才だ。

 今回の一人称はキザッたらしい。とにかく、とりあえずキザったらしい。昔の映画の吹き替えみたいな、もはや不自然と言っていいくらいの日本語だ。
 でも前回(「ブランコ乗り」)といい、一人称が作りこんでいて天才にカラクリがあるとすればどうやらこのへんにあるみたいだ。
 語り部の個性を重視するというか、息遣いを感じられるように心がけているのかな。話して聞かせている感じが、物語性を高めているのかもしれない。物語とは、物を語るわけだからね。

 でも私としてはそれだけではなくて、あちらの世界からの使者や動物など、やっぱり文学に通底するテーマが伏流してて、そこを好んで読んでるんだろうけど。
 とにかく読んでみるといい。いつの間にか夢中になって、気づくと最後のページになるんだ。もしかしたら僕が作者にトリツカレたのかもしれないね。
 ――という、何のひねりもない感想を同じように多くの人が抱くのだろうなあ。すげえや。