2017年05月24日

口に入れるものが美味しいということが、いま、自分が正しい場所にいる証明である気がします。

「ギンイロノウタ」(村田沙耶香 著/新潮文庫)

 表現力:★★★★
 構成力:★★★★
 完成度:★★★★
 総合 :★★★★

 * ★は1点、☆は0.5点。5点満点です。
 イメージ的には★5は100点満点の120点、以下☆ごとに15点差。

 表題作は完成度が高く、物語が有機的につながっていて、つまり一言でいえば「上手かった」。
 ただ、百点満点のその上を突き破るものはなかった。

 以下、内容について。
 二つの作品のどちらも、思春期の少女がねじ曲がる様子をつぶさに描いた作品だが、ねじ曲がった要因が家庭にあることは明らかだ。ただし表題作に描かれているように、主人公は「いつまでたっても」「どうしてもそれが自分のせいではないとさりげなく匂わせ」て責任を「逃れようと」し、そのためなら「どんな卑怯な手でも使う」。つまり、自分がねじ曲がったことを家庭(=両親)のせいにすること自体が「責任逃れ」体質の現れともとれる。
 人間に大なり小なり問題があるのは避けようのないことで、それは親であっても教師であっても変わらない。多少そういう人間たちから(遺伝から始まって、そのあともずっと)悪影響を受けようとも、自分の人生は誰も代わってくれないのだから歯を食いしばって頑張るしかない。
 にもかかわらず、主人公はどちらもヘタレで他人に甘えてばかりいる。
 作者がこういう話の流れにしているのは、とりもなおさず世間が今そうだからだと理解する。

 なにかといえば「私は悪くない」と、謝罪会見を開いてもなお責任逃れを図る大人ばかりだ。土下座して号泣しようとも、それが計算ずくのパフォーマンスであることは見え見えで、本当に自分が悪いと思っていたら逆にできないような態度だ。
 そういうことを踏まえて読めば、本作はかなり社会的な色合いの濃い作品だともいえる。ただし、作者は午後のテレビのコメンテーターよろしく社会を批評したり、あるいは教科書的に理想論を言いたいのではない。現代に生きる者として、現代にあるもの(ニュータウンや灰色のビル群)を題材に、現代にある問題をカエルの解剖よろしく開いて見せている。
 その描き方は(現代の)問題を分析するというよりも読者の身につまされる方へ作用する。
 本作を読んで自分も一歩間違えればこうだったと思えない人はさぞ幸せだろう。

 「ひかりのあしおと」で呪文として象徴的に使われるカタカナを、表題作でタイトルに用いている。
 世界との距離を適切に取れない主人公の稚拙さと悲哀が端的に表されている。
 ――と分かっていても、私は「銀色の扉」(と題された本作)が読みたかったなあ。
 せっかくここまで描かれるなら、(もっと作品に近視眼的になって)どっぷり中二に浸かったどうしようもない作品が読みたかった。(カタカナにすることで)最後の最後で突き放された気がしなくはない。もっとも、「自分に責任がない」体質はそれでこそ描けるともとれるけど。

2017年05月21日

「幸いは降る星のごとく」を読んだ。

「幸いは降る星のごとく」(橋本 治 著/集英社文庫)

 表現力:★★★
 考察 :★★★★
 収拾 :☆
 総合 :★☆

 これがスラスラ読める駄作というものです。
 まあ、(「夜と霧の隅で」を読んだ後の)箸休めにはちょうど良かった。

 ブスへの考察と分析は深いが、そもそも小説になっていない。
 別に本作が小説でも小説でなくても、どっちでも良いことだが、一応小説と言われてこちらも小説のつもりで読んでいるので、それなら小説と思えない作品は評価できない。

 こういう文章の書き方をする人は(少なくとも私からすれば)無尽蔵に本を書けるだろうなと思う。ページの無駄遣いという概念が頭からない。たくさんの素人が限られた字数でなんとか編集者の目に留まろうと四苦八苦するなか、こういう人がいて思いつくままに書き散らして「小説」と言ってしまってそれなりに売れるんだから世の中不公平ですね、という以外に感想がない。
 むろん世の中が不公平なことが作者のせいではないが。

 それにしても第四話はあまりにもひどい。編集者も少しは仕事しろよ。
 こんな本を世に広めて恥ずかしくないのかしら。
 私が作者だったら恥ずかしくないけど、編集者だったら恥ずかしいけどな。売れれば何でも良いのか。

2017年05月20日

つまり、たわごとのように編むのだな。

ロボトミー ロボトミー 花散る夜をかいで
ロボトミー ロボトミー 支離滅裂と泣いて
ロボトミー ロボトミー 嗚呼 君を機械に変えて
ロボトミー ロボトミー 改造ペニスのロボトミー
アブラカタブラ…… アブラカタブラ……
THE YELLOW MONKEY「Morality Slave」より


「夜と霧の隅で」(北 杜夫 著/新潮文庫)

 表現力:★★★★★
 現実感:★★★★★
 狂気 :★★★★★
 総合 :★★★★★

 「ティンブクトゥ」の以前から読んでいて、何度も挫折してその都度後回しにしては再読し、このところ少し冊数を読んだのでその勢いで、と思ったがやはり頁を繰る手が止まり、しかしとうとう読了した。読みはじめから一年くらいかかっただろうか。難敵だった。
 「ティンブクトゥ」のときにも書いた(さらに前に「海と毒薬」のときにも書いた)が、頁がなかなか進まなかったり、あるいは読むこと自体を中断させられるような作品が駄作だと考えるのは見当違いにもほどがある。もちろん世の中には読むに堪えない駄作もあるが、頁を繰る手が止まらないから素晴らしい作品と考えるのはおよそ筋違いである。それは商業上の話でしか当たらない。つまり頁がどんどん進む作品ほど、読者は次を買わないといけないから売り手はどんどん儲かる(から売る側にとって良作である)、と。それ以外の意味では一切あてにならない。頁がどんどん進んでも駄作は駄作。一向に進まなくても名作は名作。

 前置きが長くなったが、これは頁が進まない名作だ。そもそも私は素晴らしい作品がすらすら読めるほど頭が良くできていない。そして本作は素晴らしい作品だ(と直感した)がどこがどう素晴らしいのか、私は的確に読解できていない。ただこの一年ほどの逡巡のうちに「霊媒のいる町」を十回以上読んだ。短編だからすぐに読み終わるが、ただ十回以上読んでも意味が分からない。意味は分からないが面白い。
 そして最後の表題作を読んで理解した。この作者は狂っているということを。

 最後に全体の半分近い分量の表題作があって、しかも重厚なテーマでがっつり書かれていると、表題作を読み解く題材としてその他の作品を捉えがちだが、読み終わって感じることは、表題作が他の作品の補足や解説的な働きをしていることだ。
 私は何度も読んでも理解できず、また何度も読み進めるのに詰まったが、その原因の一つは表題作を読まないままでいたからだ、と、読み終わった今になると感じる。ひらたく言えば表題作が「一番分かり易い」。テーマは重いけど。

 表題作を読んで圧倒的に感じたことはそのリアリティだ。これは小説だが、私にとって現実以外の何ものでもない。ここまで現実を感じるということは、つまり虚構なのだろう、という仕方でしか、これが虚構であることを理解できない。

 読み進めにくいかもしれず、なかなか他人に面と向かって勧めるのは難しいが、しかし狂気と理性のせめぎあいのぎりぎりのところをいく本作が面白くなくて何が面白いというのか。難解な作品を読んだ俺エライ的な意味ではなく、知的冒険という読書の起点に立ち返って、全評価満点とします。
 上に書いた通り、私自身未だ読解できていません。これは祈りです。

 ふざけた選曲はユーモアも好んだ作者へ捧げる精一杯の洒落です。
 「夜霧よ今夜もありがとう」(石原裕次郎)と悩みましたが、ちょっと洒落がキツすぎるかと思って外しました。作者の世代的にはこっちの方が良かったかしら。

2017年05月17日

抑えがたい怒りの感情

 さいきん、なぜか知らないが怒りっぽくなってしまった。

 はじめから話すと、私はもともと「いらち」(注:大阪弁でせっかち、短気な人の意味)で、話が噛み合わないとすぐに怒り出す人間だった。
 あるとき(20歳くらいのとき)、その性格がもとで友人や周囲の人をひどく傷つけたことが立て続けに起こり、自分で反省して「もう怒ることはしない」と決め、それから今度は、逆にまったく怒らなくなって(客観的にみても)ずいぶんのんびりとした人間になったらしい。

 会社に入社してからも、怒るべきポイントで怒ることをしない(我慢しているのではなく、そもそも怒りの感情が湧かなかった)ため、周囲からは感心半分、残り半分は馬鹿にするような調子も含まれていたが、それに対してもやはり全然腹が立たなかった。
 もう怒らないと決めたのだ。

 ところが、さいきん怒りが抑えられないのだ。
 それも昔には感じたことのなかった、腹の底から煮えくり返る、抑えがたい怒りだ。
 よくニュースなどで「カッとなって」人を刺した、みたいな報道がなされるが、私にはまったく想像できなかった。そんなことがあるはずがないと。調書を書く段階で警察官が適当に「そういうことにしとけ」みたいな感じで書いているものだと思っていた。
 それが先日、生まれて初めて「カッとなった」。
 別に人を刺してはいないし、大勢の前で怒鳴ったりもしなかったけど、一瞬本当に抑えられない感覚があった。これは確かに、事と次第によっては人を刺すところまであり得ると分かった。
 別にどうしても許せないことがあったというほどでもない。ごく些細な行き違いの類だ(今となってははっきり覚えてさえいない)。

 もう怒らないと決めたのはどこへやら、ひとたび怒りの感情に取りつかれると(先も書いたように)抑えられない。キリスト教によれば人間には七つの大罪があるとかで、そのうちの一つに「憤怒」(Wrath)があるといわれるが、なるほど「怠惰」や「暴食」と並ぶ、抑えがたい衝動だ。

 短気は損気という言葉もあるように、怒って良いことなどまずない。それがわたしが怒りを禁じたこの十年あまりの間に悟ったことだ。
 自分が怒るべき場面が来ても怒らずにいるとどうなるかというと、そのうち相手が勝手に謝ってきます。別に私は怒ってもいないので、文字通り、勝手に謝ってきます。
 いつまで経っても謝ってこないで一向に平気な人とは自然と距離ができるので、なにも困ることはなかった。

 そういう人間のままでいられるものと思っていたが、なぜか「怒り」を知ってしまった。それも以前のような「イライラ」で抑えられるものではなく、「カッと」体が燃え上がる、本物の怒りである。
 どうしてそうなったのかはわからないが、こうなった以上はできるだけ抑えられるように対策を講じるしかない。
 何か良い方法はないものか、と、周囲の人間を見るが、私の周囲の短気な人間は当り散らすばかり(私が怒らないと知っている人などは特にひどい)で、まったく参考にならない。
posted by あらやしき at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月10日

深酒

 「ほろよい」ていう商品ありますね。言葉の意味わかってるんですかね。あれ。
 「へべれけ」とか「べろべろ」とかに改名しないと。

 半分も飲まないのにべろべろに酔って、イスに座ってられなくて寝てしまったんですけどね。
 起きたら誰もいなくなってて、テーブルもすっかり片付いて、缶も逆さまになって流し台にあったんですね。

 あんなもの残りの半分以上も飲んだら酩酊状態になって命にかかわると思うんですがね。

 妻は平気な顔で「あんなもので酔えるはずがない」って言うんですね。
 同じ人間とは思えないですね。

 読者の皆様もお酒の飲みすぎには気を付けてくださいね。
 私はというと、いつもよりすっきり目覚めて良い感じですね。
 おかしいな。すぐにその場で寝てしまうほどべろべろに酔っぱらったんですけどね。
posted by あらやしき at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

「トリツカレ男」

 「トリツカレ男」(いしいしんじ 著/新潮文庫)

 表現力:★★★★
 ベタ :★★★★
 「推薦図書」:★★★★
 総合 :★★★★

 何のひねりもない一本道のピュアなラブストーリー、皆さまの予想通りの安定のハッピーエンド、スカッとさわやか読後感――
 そんな「私がこの世で一番嫌いなタイプの話」「というかもう死に絶えて、今ではそんな話あるの? というような話」を楽しく読めるなんて、やっぱりこの人は天才だ。

 今回の一人称はキザッたらしい。とにかく、とりあえずキザったらしい。昔の映画の吹き替えみたいな、もはや不自然と言っていいくらいの日本語だ。
 でも前回(「ブランコ乗り」)といい、一人称が作りこんでいて天才にカラクリがあるとすればどうやらこのへんにあるみたいだ。
 語り部の個性を重視するというか、息遣いを感じられるように心がけているのかな。話して聞かせている感じが、物語性を高めているのかもしれない。物語とは、物を語るわけだからね。

 でも私としてはそれだけではなくて、あちらの世界からの使者や動物など、やっぱり文学に通底するテーマが伏流してて、そこを好んで読んでるんだろうけど。
 とにかく読んでみるといい。いつの間にか夢中になって、気づくと最後のページになるんだ。もしかしたら僕が作者にトリツカレたのかもしれないね。
 ――という、何のひねりもない感想を同じように多くの人が抱くのだろうなあ。すげえや。

2017年04月20日

さあ、だれか賭けるひとはいなくて?

 甘い体温の蜜匂い立ってソソるFlavor Flavor Flavor
 Just wannna hold your hands.
THE ORAL CIGARETTES「狂乱 Hey Kids!!」より

「眼球譚<初稿>」(オーシュ卿(G・バタイユ)著 生田耕作 訳/河出文庫)

 エロティシズム:★★★★★★

 本作は徹頭徹尾、エロティシズム(もっと言えば作者の個人的な性癖)をひたすら追求する。
 辻褄がどうだの登場人物の心情(さすがにマルセルがかわいそうすぎる)がどうだの、そんなことはどうでも良い。ただエロいかどうか? よりエロいのはどんなシチュエーションか? それだけに注力して描かれている。
 要は変態小説です。もっと哲学的な作品かと(勝手に)思っていたけど。

 ただ「毛皮を着たヴィーナス」は読めなかったけど、こっちは読めた。それもたびたび劣情を催しながら(笑)
 しかも仕事場で読んでるせいでこっちは抑えるのに必死なのに、ともすれば「本読んで偉いなー」みたいな言われ方をするので、笑いをこらえるのにも苦労した。本にもいろいろありましてよ。

 ケチをつけるとすれば、第二部は安物の同人誌の「あとがき」みたいで蛇足だった。まあ、作者ははじめからそのつもりだったかもしれない。処女作だし、別名だし。
 この小説に解説が欲しい人は「エロティシズム」をほんの少し読むだけでも、より楽しく読めると思います。

 本作でエロティシズム以外の要素を評価の対象にするなどナンセンスなので、それのみの評価です。
 読んでて(エロいかどうかだけでなく)「かっこいいなー」と思った箇所もいくつかあるけど、すべてを一事に尽くしたことに感心したのか、それがエロだったからか、純粋に場面の描写や展開に対して感じたのかは分からない。
 まあ、気になる中高生諸君は手に取ってください。つまらない二次元のパンチラの絵に大金を突っ込むくらいならこっちの方がはるかに安いし、勃ちます。
 難解じゃないのかって? 大丈夫。「おま○こ」っていっぱい書いてあるから、それだけで十分イケるでしょ。

2017年04月18日

「散歩中にふと空を見上げたことに理由はある?」

 そもそも誰だ誰だ あの子は誰だどこの子だ誰の子だ
 それでも赤や青でも全部奪っていくんだ 
フレデリック「ナイトステップ」より

「子供たち怒る怒る怒る」(佐藤友哉 著/新潮文庫)

 文章力:★★☆
 ねらい:★★★☆
 中二:★★★☆
 総合:★★★

 * ★は1点、☆は0.5点。5点満点です。
 イメージ的には★5は100点満点の120点、以下☆ごとに15点差。

 ふらっと立ち寄った本屋で作者名も作品名も知らない本を買ってしまいました。理由はありません。
 情感や情緒的な要素、いわゆる描写がなく、頭でっかちに構想や事実だけが繰り広げられるスタンスの小説。男性の作品に時おりみられる。傾向として独善的で幼稚な作品が多く、とても読むに堪えないものも正直少なくない。

 本作もそれの一つかと思いつつ読み進めたが、作者の莫大なエネルギーでその世界を描き切った。破綻に近い綻びも作品によってみられるが、(感情的な)力技でなんとか乗り切っている。

 私もときどきブログにこぼしているが、子どもというのは親次第でその生命や根源的な価値観、アイデンティティにまで深く影響を及ぼされる。自分ではどうすることもできない。
 本作は小説なので単に親に反抗する子供、という小さな括りではなく、もっと大きく、世界の秩序や世間の常識に牙をむく。だが子供で未成熟だから大人の世界を破壊しにかかる、という短絡的な読み方をこそ拒絶する(「理解できないかしら?(略)でもそれは、先生が大人で私たちが子供だからってわけじゃないわ」(「慾望」より))。

 このように子供たちがエイリアンのごとく、秩序や道徳など軽々と飛び越え、もはや人間として根本的な何かも失っているように感じられる。枠の外から襲撃してくる怪物を、しかし作者は恣意的に子供にしているわけではない。
 子供には、つまり人間の根底には底のない残酷さや無邪気なまでの反道徳性、反社会という意識すら持たない純然たる無秩序性がある。
 だから大人が抑えないと秩序が保たれない、というのは大人の側からの言い分で、人間の人間性を否定しているのはどちらなのかと問いかけている。

 簡単にいえば、私はここに出てくる子供たちだった。こんな風に振る舞いたかった。
 そして作者は子供ばかり描いているが、大人だ。見ると私と一つしか年齢が違わない。
 イデオロギーというほど確立されたものではないけど、世代的な感覚かもしれない。とにかく私にはここに書かれていることがすっと浸透した。

 ただし、個人的には好きだけど、小説として優れた作品だとも、みなさんに広く薦めたいとも思わないので評価はそれほど高くありません。

2017年04月17日

「ハリガネムシ」

 「ハリガネムシ」 (吉村萬壱 著/文春文庫)

 表現力:★★★★
 「文学」臭:★★★☆
 求道者:★★★★
 総合 ;★★★☆

 いかにもブンガクって感じで、その点では近年の芥川賞作品のなかでも(半分そこそこしか読んでないけど)群を抜いている。それが評価される点かどうかはわからないが、良くも悪くもそうだから仕方ない。
 暴力的、あるいはグロテスクな表現もあり、読者を選ぶ作品ではあるが、いかにもブンガクという点も含めて、作者が主体的に築いた壁ではなく、求道の末に辿り着いた境地だから仕方がないという感じはある。

 作者が作品に誠実に向き合っている点は疑念の余地がないが、求道のためとはいえ読者にサービスする気が根本的にないのは本作の欠点だろう。私は読者に媚びる作品が嫌いだから好感を抱くが、私が好感を抱く点は世間的にはよろしくないのだ。だから欠点と書かないと仕方がない。

 とってつけたようなハッピーエンドや、それを求める読者たちとは次元の違うところにこの作品はあり、だからといってえらそぶるでもなく、ただ読んでくれる人に対して静かに佇んでいる。繁華街に一人立つ修行僧のような有様は、ロックといえばロックともとれる。

 「ハリガネムシ」とは作者の創作だと思っていた。カマキリは子供のころ好きで飼ったこともあるが、そんな寄生虫が実在したとは知らず、俄かには信じがたい。
 だが私が知らなくてもそういう寄生虫は存在して、腹の底で蠢いているのだ。
 本作自体がそういうスタンスだから、その意味でも(私にとっては)大成功のタイトルといえる。
 知らないままで一生を過ごしきれるならそれも幸せだろうけど、必ず目に入るときが来るのよなあ……。
 ――という作品です。
 目にしないまま生きられる人にとっては全く価値のない作品に映るでしょう。私もそんな風に生きてみたい、とも思うけど・・・どうだろう。全然思ってないような気もする。

2017年04月12日

(イヤ、笑えません。)

 「人のセックスを笑うな」(山崎ナオコーラ 著/河出文庫)

 文章力:★★★☆
 売れ筋:★★★★
 こころみ:★★★
 総合 :★★★☆

 すごいスピードで猛然と読みまくってるように思われるかもしれませんが、実際本作は3時間もあれば十分読み終わります。この字数と行数で行きたい作品だと理解はできるけど、それにしてもあまりに字がスカスカすぎる。やっぱり漫画は絵が、小説は字が詰まってないと(もしくは頁がないと)プロとしてはねえ。まあ、私は古い人間なので。

 読後数日経ちましたが、早くも記憶や印象が曖昧です。
 通り一遍さっと読めて、それなりにキレイにまとまって、なんか「読書した」気にさせてくれる。

 もちろんそれだけではない。名前だけ見て作者は男かと勝手に思っていて、表紙めくったら女性で、本文に入ると主人公は男。だけど中身はすごく女っぽい。話は徹頭徹尾恋愛しかない。
 一方の女性はメールに返事もよこさず、理由も話さず突然会わなくなったり、挙句の果てにはミャンマーへ旅立つ。まるきり中身は男ですな。
 そう、実際の性別と性格的な性別が反対になっている。もちろんこれも意図的に仕組まれたものだ。

 出だしから紀貫之の反対を試みているということは解説に指摘されるまでもなく明らか、なんだけど……
 だから何? って感じ。
 たしか芥川賞候補に選ばれたときに山田詠美さんが一言で選評してたと記憶しているが、笑うなと言われても、ねえ。夢のシーンが残念すぎるし、「布団の国のお姫様と王様の気分で眠った」って……。
 この一行がイケるかイケないかがこの作品の評価の分水嶺かと。私は無理(とてもタイトルになどできない)。

 最後まで読むと「人のセックスを笑わないで? おねがい」くらいが相応しいタイトルだと思う。
 だがその女性性と男性性を逆転させるねらいからどうしてもタイトルは男の呟きっぽくしたかったのだろう。私はスピッツが好きだから要は彼らと同じことを狙った(しっかり売れ筋確保しつつ、中身はロックで通り一遍の表面とは全く異なる)のではないかと考えてしまうのだが、如何せん肝心の中身が。

 読むときは(読んだあとも)作品のねらいを私なりに最大限汲んで、できる限りそれに沿うように受け取ることを旨としている。食べものならおいしいと思いながら食べたほうがおいしいし、本を読むならおもしろいと思いながら読んだ方がおもしろいし、人生は楽しいと思いながら過ごした方が楽しいですからね。
 でも、できるだけそう思っていても、そうならないことはある。