2018年06月21日

あらやしきレコード大賞 2018上半期

 大賞は「勝手な青春劇」(ゲスの極み乙女。)です。

 次点は 「Lemon」(米津玄師)と「selfish」(小袋成彬)で。

 いつも引っ張るので今回はあっさり発表しました。今回はここから引っ張ります(笑)
 さて、なんで今「勝手な青春劇」なのか。収録されたアルバムの発売からは一年以上が経過して、なおかつ私は去年の上半期で既にノミネートしています。発売後2か月足らずの記事で。去年はアルバム単位でのノミネート、今年は1曲で大賞です(このアルバムの中で一番好きな作品は「小説家みたいなあなたになりたい」だけど)。

 単純に、それだけ優れた楽曲だからです。
 この曲は本当に出来が良い。ただそれしか言えない。
 彼らはこの一年で新譜を次々出してます。「あなたには負けない」「戦ってしまうよ」「イメージセンリャク」「もう切ないとは言わせない」ですか。
 いずれも素晴らしい作品で、よく聞いてます。「もう切ないとは言わせない」のセリフをライブで完璧にやってくれたらメンバー全員本物の天才だと思いますが、私の予想ではライブではセリフはやらないと思う。違う何かはするかもしれないけど。

 次点の「Lemon」も、1億回再生突破ですか。私も毎日再生してて埒があかないのでシングル買いました。優れた作品であることは疑いないですが。
 ただ、作品でいえば「LOSER」の方が彼らしい力作ですね。それなら「LOSER」を選べばよさそうなもんですが、それもまた違う。という訳で次点です。

 まあ、このように上半期で高い評価を受けた作品は年末に全く触れられないのが通例になってきましたが。
 ただし、過去にここで触れた作品を再び挙げたのは今回が初めてです(たぶん)。
 私はミーハーで、新譜が発表されるとすぐにそちらへ流れるため、そうそう起こるとは思えませんが。私自身も年末が少し楽しみです。
 それではまた。
posted by あらやしき at 23:47| Comment(0) | 趣味2(邦楽など音楽) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月20日

心つなぐのはそのHeartbeat

 私は愚鈍で乗せられやすいので、ちょっと日本がW杯でまぐれ勝ちを拾ったからってすぐにいい気になって、一端のサッカー通気取りでいます。

 日本人は個々の技術、能力では世界に及ばないと。だから組織的な守備で、細かいパス回しで、ピッチ上の選手が一つになって向かわないと到底勝てない、と。

 これは日本がW杯に出場し始めた時から変わらずにずっと、おそらく私が死んだ後も延々と繰り返されている言説でしょうが、なぜいつもこの物語が採用されて盛り上がるのか。一言でいえば日本人の性癖でしょうね。

 「皆が一つになって」
 「自分のためでなく、チームのために」
 この一体感という得体のしれないものが日本人は好きで好きでしょうがない。

 この一体感でもって勝ったのでなければ日本人は喜ばないし、そればかりか応援している当の本人たちも一体感でもって喜びに浸る。
 すなわち皆でお揃いの代表のユニフォーム着て、パブリックビューイングで、皆と同じ時間を、同じように観賞し、同じように喜ぶ。

 私もまた日本人だから、この一体感がもたらす快感には抗いがたい。
 一人で観るより、誰かと観たほうが面白い。
 感想は誰かと語り合い、できれば共有できた方が満たされる。
 ツイッターで世界一流れる言語が中国語でも英語でもなく日本語だというが、そういうことも多少影響しているのかもしれない。

 さてこの一体感でもって会社でも喜びを共有できるかと思いきや、事態は意外な方向に向かった。
 いや、興味ない人が一定数いることは分かっているし、私もそこまで愚鈍ではないので、普段からスポーツの話題で盛り上がる同僚にしか話かけてはいないんだけど。
 先輩二人、50代のAさんと40代のBさんとの会話です。

 私「日本勝ちましたねー。よかったですね!」
 A「それはいいけど、ハーフタイムのあれはなんだ!? あの歌!」
 B「ひどかったですよねー」
 え? そこなの? 勝ったんだし、そんなことどうでも良いやん(笑)
 A「あれなんて奴らなん? 見たことないけど?」
 私「Suchmosです」
 A「は?」
 私「サチモスです、サ、チ、モ、ス」
 A「サチモス?」
 私「はい」
 A「どういう意味なん?」
 私「知りませんよ(笑)」さすがにあきれた。もはやサッカーと何の関係もない。
 B「最近流行ってんすよ。なあ?」
 私「そうですね」話の行方に興味がもてない。音楽の話をするつもりで振った話ではない。
 B「あの曲はひどい。万年Superflyで良いのに」
 A「『栄光の架け橋』とか、良い曲あるやろに」
 誰々も良かった、ああだこうだと互いに趣味を言い合っている。
 私「曲ってそんなに大事ですか?」思わず本音が出たが、全く取り合わず、延々と今回の応援曲の文句を続けていた。

 言われたら確かに書き下ろしの応援歌としては出来がよくないかもしれないが、サッカーを観てるんであって曲を聴いてるわけではないからやはりどうでも良い。

 なるほど一体感をもって応援するためにはサッカー自体の結果や試合の中身よりも曲の方が大事というわけか――とまで言うとさすがに嫌味だが、音楽なんてそれこそ好みだし、皆で同じ曲で盛り上がって応援なんてどだい無理だと思うけど。

 枠の内側にいるうちは一体感が心地良いが、ひとたび枠の外へ出ると疎外感は重力をもって襲いかかってくる。これは恐怖です。
 この日本人の性癖を子供の時から肌で知っているから、いじめも横行する。
 そしてW杯でたかが一勝しただけで皆が皆良い気にもなれる。監督の解任劇や壮行試合の不甲斐なさにあれだけ文句言ってたのも忘れて。
posted by あらやしき at 23:42| Comment(0) | 趣味2(邦楽など音楽) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

私の考えることは変?

「あの子の考えることは変」(本谷有希子 著/講談社文庫)

 変 :★★★★
 総合:★★★★


 まさしくその通り。あの子の考えることは変なのだ。
 倒置法使ってまでタイトルに据えたのだから、さぞかし変なのだろうと期待して読んだがその期待は裏切られなかった。この本についてこれ以上書くことはないようにも思う。読書感想文を一言「おもしろかった。」で終われないことは、私は子供の頃から理不尽だと思っている。
 
 なのでここからは蛇足です。
 多分誰が読んでも変だと感じられると思う。そう感じさせる力が本作の要なのだが、そう感じるか、私が考える理由のひとつは「『あの子』の考えることは変」と思っている主人公も「あの子」に負けず劣らず変で、その主人公から見ても「あの子」は変だということ。
 本作は一人称なので、主人公は自分が考えることが変だという描写は一切ない。「あの子の考えることは変」なのであって、「私が考えることは変」ではないからね。なので、傍から見てどんなに変でも、主人公は自分が変だとは考えない。

 自分よりはるかに足が速い、あの俊足のお兄ちゃんが「あの人は俺なんかよりよっぽど足が速い」と言えば、その人が自分より足が遅いことはありえない、と誰もが思うだろう。実際に走った姿を見たことがなくても。
 もちろんあの子(日田)の考えることは変なのだが、そういう効果も織り込まれて作られている。そもそも主人公と日田と、どちらが変かは足の速さのように客観的に比べられるものではないのだ。

 そしてもう一つは、単純に変なばかりでは読者の理解が及ばない。変だと思える程度には理解が及ばないと、変だとは思えない。
 たとえば、Gカップに異常なまでの自信をもつ主人公は変だが、巨乳が世間でもてはやされている側面があるのは事実だ。主人公がBカップやCカップだったら、少なくとも私には「変だ」ではなく「理解できない」となる。
 ダイオキシンのチョイスもセンスを感じる。時間が経てばすぐに古くなる、しかし漠然と体に悪い物質ということだけは頭に残っているカタカナを使う。結果、危険な物質について真剣に言及しているにもかかわらず非常に間の抜けた印象をもたせている。

 私は最初に「多分誰が読んでも変だと感じられると思う」と書いたが、誰が読んでも一定までは理解できて、ある点から確実に逸れる。
 到底勢いや思い付きで描けるものではない。

 通販型自動車保険のCMで「乗り換えて安さを実感した人は九十何%」などと言っているが、乗り換えて安さを実感できない人は乗り換えないのだから当たり前のことだ。そんなことくらい誰でも分かると思うのだが、CM見て電話する人が本当にいるのだろうか?
 それと同じで、「あの子の考えることは変」という本を手に取る人は変なのを読みたいから手に取るので、だとすれば読者の満足度は100%に近いと思うのだが、レビューを見るとさにあらず。
 なかには「なんだこの変な本は!」などと憤っている人もいるが、だからタイトルに書いてあるじゃない。変だって。
 それで怒るんだから、変な人(達)だ。

 本作は、ただ変なだけじゃなくて印象深い仕掛けもいろいろあって面白かったが、細かいところは忘れてしまった。
 読んだのはもう1か月以上も前のことで、面目ない。
posted by あらやしき at 21:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月30日

他人を引きずり下ろす快感

「シャーデンフロイデ」(中野信子 著/幻冬舎新書)

 タイミング:★★★★☆
 総合:★★★


 私はひねくれ者です。ここでずっとそう言ってるし、治るとも思わない。
 まあ、ひねくれ者が素直にその事実を認めてるので素直だ(ひねくれてない)とも思いますが(笑)

 ただ、私がひねくれ者なのは自覚しているところですが、世間の人も相当ひねくれ者なんじゃないか。
 日大アメフト部の一連の報道と、無関係の多くの人たちの反応を見ていて、そう思います。

 悪質なタックルをした実行犯が今ではある種英雄視される向きさえあり、直接には手を下していない、指示があったか確かではない(少なくとも本人たちは認めていない)監督やコーチが悪の権化として毎日吊し上げられている。
 それがなぜかといえば。

 実行犯の学生は群衆から吊し上げられる前に自ら記者会見を開き、明確に事実を認め、涙を流しながら謝罪し、もう二度とアメフトをすることはないと言った。試合に出たい一心であんな悪質なタックル(もはや傷害行為)までしたにもかかわらず。一方でちゃっかり監督とコーチの指示によるものだ、とも明言した。
 一方で、それに後れをとり、吊し上げられる形で無理やり記者会見を開いた監督とコーチは、(群衆からすれば)この期に及んで未だ指示を否定した、と。

 「さあ石を投げろ! 悪者は俺だ!」と叫んだ者に対しては糾弾するどころか逆に救う行為に走り、一方で、「俺は悪くない! 俺は悪くない!」と叫んだ者に対しては、われ先に石を投げ手柄の奪い合いをする。

 なかなかのひねくれ者じゃないですか。
 そういうことがなぜ起こるのかを解説した本です。新書は読みやすさとタイミングがすべてだから、毎日何かに対するバッシングしかされていない日々に出す本としては的確で、作者の嗅覚の良さは感じられる。

 それこそ日大の監督じゃないですが、信じてもらえないとは思いますが、日大の事件を受けてこの本を読んだわけではないです。
 本を読んだあと忙しくて感想を書けずにいたところ、この事件が起こったので使えるかと思って感想に書いている。
 私は「世相を記事にしない」と書いたばかりですし、言うことは律儀に守ろうとする素直な人間ですからね。
posted by あらやしき at 23:48| Comment(0) | 趣味(小説・漫画etc)/ときおり一首 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月21日

今だけ生きて、あとで死にたい。

「長い終わりが始まる」(山崎ナオコーラ 著/講談社文庫)

 構成:★★★☆
 総合:★★★☆

 本に限らず友人とか持ち物とか、何にでも言えることかもしれないが、自分が好きだと思うことと自分に合っているということは、必ずしも一致しない。
 好きだけどなかなか読み進められない本、似合わない服、話が噛み合わない友人、というのはある。本に関しては、読みにくいなかを読み進めること自体に意義がある作品もあるので必ずしも否定はできないが。
 また逆もしかりで、大して思い入れがなくても気づくと読んでいる本、着ている服、お互いスムーズに会話が弾む友人、というのもある。他人から言われて初めて気づくことも多い。自分に馴染んでいる、波長が合うのだろう。

 この作品は作者が宣言しているとおりすべて平易な文章で書かれているので、読みやすいことは誰にとっても同じだが、しかし「こんな文章をだらだら続けてどういうつもりだ」的な方向に頭が向かうと(どんなに平易に書かれていても)読み進めないものだ。なるほどたしかに文章は平易だけど書かれているものは、と感じることに読者のアンテナが開かれないことには作品に馴染むことはできない。

 というわけで本作について、どこにでもある大学のどこにでもあるサークルのどこにでもある恋愛事情、を主題(つまりそれを描きたいがために書かれた小説)として読み進めると頂上は(少なくとも私にとっては)ひどくつまらないものであり、作者はもちろんそんなつまらない頂上にアタックするために小説を書いたわけではない。目的を達成するためなら名前さえも踏み台にするほどの合理主義者が、そんな無駄なことはしない。

 では作者がアタックした山とはどんな山か。いわゆる「キャンパスライフ」には時間や体力はおろか、およそ思いつくものすべてがありながら、何もない。モラトリアムとはまさに夢のような話(現に本作でも「息が苦しい(空気不足)」「喉がカラカラだ(水不足)」「生活が苦しい(銭不足)」等の現実的(身体的)な苦労や不足は徹頭徹尾、欠片も現れない)でありながら、これほど苦しいことはない。

 以前、寺の坊主が「極楽とはすべての苦しみから解き放たれた世界だ」と、「苦しみというのはない」と話しているのを聞いて、それこそ地獄ではないかと感じた、という記事を書いた。本編では上に書いた通り現実的な不足とはおよそ無縁だが、だから充足しているか、幸せかといえばそうではない。 
 逆説的な言い方になるが、何の苦労もない「キャンパスライフ」は精神的な苦しみに事欠かない。もちろん小説なので象徴として大学サークル(「若い」・「狭い」・「貧しい」の象徴)が採用されているが、現代に生きる人間の愚かさゆえの苦しみを存分に反映している。

 小難しくてうまく感想が書けないけど、全てが目的のために配置されている小説は嫌いではない。
 ただし、映像化されると描かれるものは全く別のものになる(注:だからダメだと言いたいのではない)ので、映画を見たから本読まなくても良い、とはならない。本を読んでください。
posted by あらやしき at 10:49| Comment(0) | 趣味(小説・漫画etc)/ときおり一首 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月12日

人こそ知らね松は知るらむ

 書いてみると気になるもので、大きな本屋で万葉集の解説(専門書)を立ち読みしてきた。
 天智と天武はもちろん兄弟として書かれている。
 額田王の歌なんて、歌よりも政治の解説の方が分量が多い。つまりそれだけ政治的な意味の強いものだった、ということだろう。

 その政治の頂点で、一人の女を二人の男が奪い合っている。
 なるほど天武が(自ら編纂させた「日本書紀」で)天智を悪く書かせた理由として、そういう見方もできる。

 すなわち、兄弟だからこそ許せなかった。どうしても
 国家がどうとか、天皇がどうとか、そんなことよりもっと感情的な、だからこそ徹底的な仕返しを。

 私は以前の記事で、自身を権威づけるため(に書かせた)、と考え、天武を中2だ、と断じた。
 しかし、自分の出自や権威を脚色するには、(中大兄→)天智を悪く書くのがあまりに執拗すぎる。
 専門書にはそこまで(品のないことには)言及されてなかったが、自然にそう読めるようにはなっている。

 というわけで、自説は撤回します。もともと何の根拠もない、ただの戯言ですが。
 いずれにしても、日本史長しといえど、数少ないドラマに満ちたシーンであることは確かです。

 倉山田石川麻呂にしても、有間皇子にしても、被害者が多すぎる気もしますが、権力争いが血まみれになることは古今東西変わらず、ここは克明に記録されているために残っているというだけで、言われもなく殺されて記録さえされないことの方が多いのでしょうね。
posted by あらやしき at 21:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月11日

お互いガンバリマショウ。

 私はLINEをやらないからいまいち分からないが、スタンプは自作できるらしい。
 私の親くらいの年の離れたパートさんがスタンプを自作して販売しているがなかなか売れないと嘆いていた。
 で、どんなスタンプなら売れるか、若い子の見解が聞きたいと相談をもちかけられたんだが、私LINE使ってないし(売ろうとしても、無駄だよ笑)。
 第一、もう若くもないしね。

 ただ、誰でも作って販売できるということは星の数ほど出回っているはずで、そうなれば質云々の問題ではなく、単純に見てもらう機会が少ないということだろう。で、売れたかどうかはもちろん、自分のスタンプを見てもらえたかどうかさえわかる仕様になっているらしい。私もブログをやっているから言っていることはなんとなくわかる。アクセス集計、みたいな機能だろう。

 「最初は『売れるかなー?』とか、ちょっとわくわくしてたけど、売れないどころかプレゼントした相手にも使ってもらえてないことがわかってがっかりだ」
 そんなことまで分かってしまうとは、やはりLINEなんてやるもんじゃない。そもそも読んだかどうかが相手に伝わるなんて、やりづらいことこの上ない。わからんから良いことも世の中にはあると私は思うのだが、世の中の方ではそういう隙間を許してはくれないらしい。

 それにしても自作のスタンプを金とって売ろうとはなかなかの根性でいらっしゃる、と感心してたのだが、話がよくわからないものの、有料じゃないと撒けないシステムなのか? と思った。120円で売っても手元には半分も来ないとか、自分で作ったものを自分で使うために買わないといけない(当然全額が自分に入るわけではない)とか。
 なるほど、中高生の友達同士がお互いに作ったスタンプを使いあう、でも金を吸い取れるシステムにしてあるのかな。私はLINEをやらないからいまいち分からないけど。

 売れない(見てもらえない)ということはよくわかる。私なんか、長いことブログを続けているのに一向に読者が増えないもの(笑)
 しかも無料だよ?無料! 今なら2箱。
 まあ、そんなもんです。むろん、その人はスマホ自体を12月に買ったばかりだと言うし、まだまだこれから作品を増やしていって、売れに売れるのかもしれません。ユーチューバ―に続いて、今にスタンプクリエイターなんて職も現れるかもしれない。もう現れてるのかな?

 ええ、今日言いたかったことは「私なんか、長いことブログを続けているのに一向に読者が増えない」、これだけです。
 これ一言言うためだけにこんなに長くかかるから、いつまで経っても誰にも読まれないんだ、タコ。
posted by あらやしき at 21:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月07日

万葉集でもよみましょうか

 万葉集 巻2・142 有間皇子( ありまのみこ)
 家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
 (読み):いへにあれば けにもるいひを くさまくら たびにしあれば しひのはにもる
 (現代訳):家にいると器によそうご飯を、今は旅の途中なので椎の葉に盛ることだよ
 世事について書く気が起こらないので好きな歌を記事にします。
 一見すると、なんだそりゃ?(それがどうした?)と思うような歌ですが。
 この人は父も母も天皇になっていて、次の天皇として非常に有力な人だったと思われます。それが争いに敗れて処刑の憂き目にあうわけですが、兄弟などに敗れるならともかく、中大兄皇子(天智天皇)という、天武天皇に次ぐインチキ(だと私が個人的に思っている)な天皇(当時は天皇ではない、というか後継者の有間皇子を無事葬って天皇になる)に敗れた。
 旅の途中といっても楽しい旅行ではなく、行った先で処刑されることが前提の、護送中に詠んだ歌だと言われています。
 ちょっと雰囲気が変わってきたでしょう?

 もっとも、私が天智や天武をインチキ視(*注:「温故知新(2)」 「温故知新(3)」 を参照)する根拠としての「物語性」の非常に強い歌なので、この歌も後の人間が有間皇子を名乗って創作した、という説もあります。
 ただし、天智や天武はその出自から疑わしいところ、これは歌に限った話なので、インチキ(創作)といったところで問題の大きさは全然違う。そもそも歌が創作そのものだし。

 歌だけ詠むと平凡な印象をぬぐえないものを立体的な作品にするのはやはり背景あってのことで、その背景が優れた物語であれば作品は自ずと優れて見える。そういうことを私に教えてくれた印象的な歌です。

 あれ、私誉めてますかね? 好きな歌だから紹介してるんだけど。
 歌がヘタすぎるなんて一言も言ってませんよ。
posted by あらやしき at 23:57| Comment(0) | 趣味(小説・漫画etc)/ときおり一首 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月05日

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」

 これは私の言葉ではなくて、ヴィトゲンシュタインという人が言った言葉なんですが。
 ここでは難しい話は無しにして、ただ単純に「よく知りもしないことを、知った風に喋るな」と受け取って話を進めます。

 世の中で起こっている様々な事象について、まずほとんどの人はそのそばにいないし、直接見ていないし、当事者の知り合いでもない。
 それら、なんらのかかわりをも持たない人たちが、いろんなことについて好き勝手にものを言う。

 よく「子どもは親のマネをするから、子どもの行いの責任は親にある」というが、テレビがそうする(何も知らない人間が好き勝手にものをいう)から、視聴者もマネしてそうなるのだろうか。少し前までは発言する手段を持たなかったが、最近はどうとでもなるので収拾がつかない。

 そういう風潮にほとほと疲れ果てて、私は「社会について」(特にニュースやワイドショーネタものについて)書く意欲が失せた。
 もともと備忘のためという以外にさほど興味があったわけじゃないけど、最近のは備忘の価値もない(忘れてしまって何の支障がある?)ような些末なことについて、よくもまあこれだけ社会が騒動できるものだなと感心するほど騒ぎ立てている。
 もちろん、ここに書けないほどひどく忙しいという差し迫った事情もあってのことだが。

 ただし、私は「何も知らない人間が好き勝手にものをいう」その人のことを知っている訳ではないから、その人間を批判するということもまた、すべきではない。
 昼は忙しく働いて、疲れ果てて帰ってきてはナイターを酒の肴に、日々を慎ましく過ごせば良い。
 またそのナイターでも、何も知らない人間が好き勝手に(以下略)
posted by あらやしき at 23:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月13日

唾飛ばしあうも多少の縁

 
メジャーに行って1、2年で消えるバンド多過ぎクソワロタ
キュウソネコカミ「ビビッた」より


 運転中にラジオを聴いていたら、知らないミュージシャンがDJと音楽(論?)について語り合ってる。私はそういうのが好きではない。音楽家なら音楽で表現すれば良いし、雑誌に何万字もインタビューで語れるほどの厚みがあるのかと。まあ、この番組はDJが主導で、音楽家の方はゲストで呼ばれて話振られて返事してるのであって、ノリノリってわけでもなかったから、まあ(失礼ながら売れてない方だろうし)営業の一環として、これも仕事と割り切ってるのかな、プロって大変だな、と思って聴き流していた。

 しかし話が長い。
 しかも、DJが持ち上げるのもまた仕事なんだろうけど、さっきからどんな天才なんだと思うようなことをまあ、恥ずかしげもなくよく言うよね。この人そんなに唄上手いの? そんなにギターすごいの? それならなんで売れてないの? 全く知らない声だけど。
 七枚目のアルバムって、七枚もアルバム出してて全然知らないんだけど?(笑)そういうのよくあるよねー。ラジオの世界では。やれやれ。やっと曲(紹介)かよ。

 ――それでは曲紹介は、ご本人からお願いします。
 「えーそれでは、聴いてください。中田裕二で――」
 吹きそうになった。ラジオに吹いても彼にはかからないんだけどね(まだ恨んでるってこともないけど、昔の記憶はいつまでも忘れないのよね。最近のことはすぐに忘れるんだけど)。

 本当に本人かと疑った(あの頃のライブのMCと全然声色も語彙も違う)けど、歌いはじめたら間違いなく本人だった。7枚もアルバム出してるとは驚いた。まあ一曲も聞かないけど――
 なんて意地を張るのはやめてラジオで聞いたのも何かの縁、と思ったけど、やっぱり駄目だ。この人はバンドでないと。ていうか椿屋じゃないと。

 二曲目に入る前にも、DJが「この曲書く人はイエモンが好きに違いない」とか散々煽ってくるから、私はもう目的地に着いているのに通過してまで聞いたけど。
 聞いたけど、やっぱり――

 *注:中田裕二:かつて「椿屋四重奏」というバンドのボーカルをしていた。メジャーに行って三年半でバンドは解散しました。そしてその後ソロで活動しておられます。私はそのバンドのライブに通ってたのですが知らない人が多いと思うので注釈まで。
posted by あらやしき at 23:16| Comment(0) | 趣味2(邦楽など音楽) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする