2017年04月24日

「トリツカレ男」

 「トリツカレ男」(いしいしんじ 著/新潮文庫)

 表現力:★★★★
 ベタ :★★★★
 「推薦図書」:★★★★
 総合 :★★★★

 何のひねりもない一本道のピュアなラブストーリー、皆さまの予想通りの安定のハッピーエンド、スカッとさわやか読後感――
 そんな「私がこの世で一番嫌いなタイプの話」「というかもう死に絶えて、今ではそんな話あるの? というような話」を楽しく読めるなんて、やっぱりこの人は天才だ。

 今回の一人称はキザッたらしい。とにかく、とりあえずキザったらしい。昔の映画の吹き替えみたいな、もはや不自然と言っていいくらいの日本語だ。
 でも前回(「ブランコ乗り」)といい、一人称が作りこんでいて天才にカラクリがあるとすればどうやらこのへんにあるみたいだ。
 語り部の個性を重視するというか、息遣いを感じられるように心がけているのかな。話して聞かせている感じが、物語性を高めているのかもしれない。物語とは、物を語るわけだからね。

 でも私としてはそれだけではなくて、あちらの世界からの使者や動物など、やっぱり文学に通底するテーマが伏流してて、そこを好んで読んでるんだろうけど。
 とにかく読んでみるといい。いつの間にか夢中になって、気づくと最後のページになるんだ。もしかしたら僕が作者にトリツカレたのかもしれないね。
 ――という、何のひねりもない感想を同じように多くの人が抱くのだろうなあ。すげえや。

2017年04月20日

さあ、だれか賭けるひとはいなくて?

 甘い体温の蜜匂い立ってソソるFlavor Flavor Flavor
 Just wannna hold your hands.
THE ORAL CIGARETTES「狂乱 Hey Kids!!」より

「眼球譚<初稿>」(オーシュ卿(G・バタイユ)著 生田耕作 訳/河出文庫)

 エロティシズム:★★★★★★

 本作は徹頭徹尾、エロティシズム(もっと言えば作者の個人的な性癖)をひたすら追求する。
 辻褄がどうだの登場人物の心情(さすがにマルセルがかわいそうすぎる)がどうだの、そんなことはどうでも良い。ただエロいかどうか? よりエロいのはどんなシチュエーションか? それだけに注力して描かれている。
 要は変態小説です。もっと哲学的な作品かと(勝手に)思っていたけど。

 ただ「毛皮を着たヴィーナス」は読めなかったけど、こっちは読めた。それもたびたび劣情を催しながら(笑)
 しかも仕事場で読んでるせいでこっちは抑えるのに必死なのに、ともすれば「本読んで偉いなー」みたいな言われ方をするので、笑いをこらえるのにも苦労した。本にもいろいろありましてよ。

 ケチをつけるとすれば、第二部は安物の同人誌の「あとがき」みたいで蛇足だった。まあ、作者ははじめからそのつもりだったかもしれない。処女作だし、別名だし。
 この小説に解説が欲しい人は「エロティシズム」をほんの少し読むだけでも、より楽しく読めると思います。

 本作でエロティシズム以外の要素を評価の対象にするなどナンセンスなので、それのみの評価です。
 読んでて(エロいかどうかだけでなく)「かっこいいなー」と思った箇所もいくつかあるけど、すべてを一事に尽くしたことに感心したのか、それがエロだったからか、純粋に場面の描写や展開に対して感じたのかは分からない。
 まあ、気になる中高生諸君は手に取ってください。つまらない二次元のパンチラの絵に大金を突っ込むくらいならこっちの方がはるかに安いし、勃ちます。
 難解じゃないのかって? 大丈夫。「おま○こ」っていっぱい書いてあるから、それだけで十分イケるでしょ。

2017年04月18日

「散歩中にふと空を見上げたことに理由はある?」

 そもそも誰だ誰だ あの子は誰だどこの子だ誰の子だ
 それでも赤や青でも全部奪っていくんだ 
フレデリック「ナイトステップ」より

「子供たち怒る怒る怒る」(佐藤友哉 著/新潮文庫)

 文章力:★★☆
 ねらい:★★★☆
 中二:★★★☆
 総合:★★★

 * ★は1点、☆は0.5点。5点満点です。
 イメージ的には★5は100点満点の120点、以下☆ごとに15点差。

 ふらっと立ち寄った本屋で作者名も作品名も知らない本を買ってしまいました。理由はありません。
 情感や情緒的な要素、いわゆる描写がなく、頭でっかちに構想や事実だけが繰り広げられるスタンスの小説。男性の作品に時おりみられる。傾向として独善的で幼稚な作品が多く、とても読むに堪えないものも正直少なくない。

 本作もそれの一つかと思いつつ読み進めたが、作者の莫大なエネルギーでその世界を描き切った。破綻に近い綻びも作品によってみられるが、(感情的な)力技でなんとか乗り切っている。

 私もときどきブログにこぼしているが、子どもというのは親次第でその生命や根源的な価値観、アイデンティティにまで深く影響を及ぼされる。自分ではどうすることもできない。
 本作は小説なので単に親に反抗する子供、という小さな括りではなく、もっと大きく、世界の秩序や世間の常識に牙をむく。だが子供で未成熟だから大人の世界を破壊しにかかる、という短絡的な読み方をこそ拒絶する(「理解できないかしら?(略)でもそれは、先生が大人で私たちが子供だからってわけじゃないわ」(「慾望」より))。

 このように子供たちがエイリアンのごとく、秩序や道徳など軽々と飛び越え、もはや人間として根本的な何かも失っているように感じられる。枠の外から襲撃してくる怪物を、しかし作者は恣意的に子供にしているわけではない。
 子供には、つまり人間の根底には底のない残酷さや無邪気なまでの反道徳性、反社会という意識すら持たない純然たる無秩序性がある。
 だから大人が抑えないと秩序が保たれない、というのは大人の側からの言い分で、人間の人間性を否定しているのはどちらなのかと問いかけている。

 簡単にいえば、私はここに出てくる子供たちだった。こんな風に振る舞いたかった。
 そして作者は子供ばかり描いているが、大人だ。見ると私と一つしか年齢が違わない。
 イデオロギーというほど確立されたものではないけど、世代的な感覚かもしれない。とにかく私にはここに書かれていることがすっと浸透した。

 ただし、個人的には好きだけど、小説として優れた作品だとも、みなさんに広く薦めたいとも思わないので評価はそれほど高くありません。

2017年04月17日

「ハリガネムシ」

 「ハリガネムシ」 (吉村萬壱 著/文春文庫)

 表現力:★★★★
 「文学」臭:★★★☆
 求道者:★★★★
 総合 ;★★★☆

 いかにもブンガクって感じで、その点では近年の芥川賞作品のなかでも(半分そこそこしか読んでないけど)群を抜いている。それが評価される点かどうかはわからないが、良くも悪くもそうだから仕方ない。
 暴力的、あるいはグロテスクな表現もあり、読者を選ぶ作品ではあるが、いかにもブンガクという点も含めて、作者が主体的に築いた壁ではなく、求道の末に辿り着いた境地だから仕方がないという感じはある。

 作者が作品に誠実に向き合っている点は疑念の余地がないが、求道のためとはいえ読者にサービスする気が根本的にないのは本作の欠点だろう。私は読者に媚びる作品が嫌いだから好感を抱くが、私が好感を抱く点は世間的にはよろしくないのだ。だから欠点と書かないと仕方がない。

 とってつけたようなハッピーエンドや、それを求める読者たちとは次元の違うところにこの作品はあり、だからといってえらそぶるでもなく、ただ読んでくれる人に対して静かに佇んでいる。繁華街に一人立つ修行僧のような有様は、ロックといえばロックともとれる。

 「ハリガネムシ」とは作者の創作だと思っていた。カマキリは子供のころ好きで飼ったこともあるが、そんな寄生虫が実在したとは知らず、俄かには信じがたい。
 だが私が知らなくてもそういう寄生虫は存在して、腹の底で蠢いているのだ。
 本作自体がそういうスタンスだから、その意味でも(私にとっては)大成功のタイトルといえる。
 知らないままで一生を過ごしきれるならそれも幸せだろうけど、必ず目に入るときが来るのよなあ……。
 ――という作品です。
 目にしないまま生きられる人にとっては全く価値のない作品に映るでしょう。私もそんな風に生きてみたい、とも思うけど・・・どうだろう。全然思ってないような気もする。

2017年04月12日

(イヤ、笑えません。)

 「人のセックスを笑うな」(山崎ナオコーラ 著/河出文庫)

 文章力:★★★☆
 売れ筋:★★★★
 こころみ:★★★
 総合 :★★★☆

 すごいスピードで猛然と読みまくってるように思われるかもしれませんが、実際本作は3時間もあれば十分読み終わります。この字数と行数で行きたい作品だと理解はできるけど、それにしてもあまりに字がスカスカすぎる。やっぱり漫画は絵が、小説は字が詰まってないと(もしくは頁がないと)プロとしてはねえ。まあ、私は古い人間なので。

 読後数日経ちましたが、早くも記憶や印象が曖昧です。
 通り一遍さっと読めて、それなりにキレイにまとまって、なんか「読書した」気にさせてくれる。

 もちろんそれだけではない。名前だけ見て作者は男かと勝手に思っていて、表紙めくったら女性で、本文に入ると主人公は男。だけど中身はすごく女っぽい。話は徹頭徹尾恋愛しかない。
 一方の女性はメールに返事もよこさず、理由も話さず突然会わなくなったり、挙句の果てにはミャンマーへ旅立つ。まるきり中身は男ですな。
 そう、実際の性別と性格的な性別が反対になっている。もちろんこれも意図的に仕組まれたものだ。

 出だしから紀貫之の反対を試みているということは解説に指摘されるまでもなく明らか、なんだけど……
 だから何? って感じ。
 たしか芥川賞候補に選ばれたときに山田詠美さんが一言で選評してたと記憶しているが、笑うなと言われても、ねえ。夢のシーンが残念すぎるし、「布団の国のお姫様と王様の気分で眠った」って……。
 この一行がイケるかイケないかがこの作品の評価の分水嶺かと。私は無理(とてもタイトルになどできない)。

 最後まで読むと「人のセックスを笑わないで? おねがい」くらいが相応しいタイトルだと思う。
 だがその女性性と男性性を逆転させるねらいからどうしてもタイトルは男の呟きっぽくしたかったのだろう。私はスピッツが好きだから要は彼らと同じことを狙った(しっかり売れ筋確保しつつ、中身はロックで通り一遍の表面とは全く異なる)のではないかと考えてしまうのだが、如何せん肝心の中身が。

 読むときは(読んだあとも)作品のねらいを私なりに最大限汲んで、できる限りそれに沿うように受け取ることを旨としている。食べものならおいしいと思いながら食べたほうがおいしいし、本を読むならおもしろいと思いながら読んだ方がおもしろいし、人生は楽しいと思いながら過ごした方が楽しいですからね。
 でも、できるだけそう思っていても、そうならないことはある。

2017年04月10日

あれをしながら、これをしながら

 書く方が追いついていなくて少し前の話になるが、これ以上遅れると忘れてしまうので。
 春の選抜高校野球は史上初、大阪同士の決勝となった。

 兼ねてから夏の予選など、「大阪の決勝は甲子園の決勝レベルだ」などと言われることがあり、実際テレビで観戦していても相当レベルの高い戦いだが、言うのと実現するのは違う。本当に決勝で戦うとは驚きだ。
 是非夏の選手権大会は大阪に2枠を与えて欲しいと思います。

 さて、その決勝は雨天中止もあり4月1日になった。ちょうど戦いが熱を帯びてきた頃、我らが阪神タイガースの公式戦、対広島の試合が始まった(決勝は12:30、広島戦は14:00プレイボール)。
 広島戦は初回から点を取り合う展開になり、決勝はなんと8回の裏に3点を追いついて同点になった。
 この日は(パスピエのライブに行くために)休みだったのでテレビにかじりついて観ていた。どのように。

 私は文字通り1球投げるごとにチャンネルを変えて両方の試合を一球もらさず観ようと頑張っていた。
 しかし如何せんプロと高校野球では1球を投じるまでの時間が違う。テンポの異なるドラムを一つの曲に合わせるような違和感を感じつつ、しかしこれは作品ではなく競技(しかも生中継)なので見逃すわけにもいかず、必死でチャンネルを変えて観ていた。

 会社に出社してから野球(と阪神)好きの同僚たちとその話になったとき、涼しい顔で「おれも両方観てた」と言うので、必死にチャンネル変えながら? と尋ねると、こともなげに言う。
 「二番組同時(放送)で」
 なるほど。

 二番組同時放送機能などいつ使うことがあるのか、あっちもこっちも両方観られないわと小馬鹿にしていたが、観られる、気がする。
 そういえば家電量販店のテレビ売り場に行くと何台もあるテレビがそれぞれ違うチャンネルを映していることがあるが、全て見ようと思えば5番組くらい同時に観ることは可能だ。洋画(それも「L.A.コンフィデンシャル」みたいなややこしい作品)とかドラマだと無理だが、それこそスポーツ中継(ゴルフ、テニス、サッカー、野球、競馬、相撲etc.)とか天気予報、バラエティもいけそうだ。

 ところでこのような機能はいつから備わったのか。
 テレビの方の話ではない。人間の方の話だ。
 私に限って言えば、昔(子どもの頃)はできなかった。一つの番組に集中して観ないとどれも頭に入ってこなかったことを記憶している。

 テレビを見ながら漫画を読む、家事をする等、二つ以上のことを同時にこなす人が若者を中心に増えているらしい。二つ以上のことをこなせないと「もったいない」という。
 これは発達というより、それだけ情報なり時間なり、流れが急になっていて、その流れを乗り切るためのボートであり、オールなのだろう。
 わからんではない。私だって野球両方観てた。
 けど、やっぱりそれと引き換えに失ったもの(ギリギリしながら次の1球を待つ感覚)もあるのだろう。

 ゆっくり本を読んで、じっくりと考えたい。
 休みの日にではなく、仕事の暇なときに(笑)
posted by あらやしき at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月06日

そして、びっくり。いたずらっぽくウインクしたんだ。

 「ぶらんこ乗り」(いしいしんじ 著/新潮文庫)

 表現力:★★★★★
 着想 :★★★★
 あざとさ:★★★★☆
 総合 :★★★★★

 これは更衣室に転がっていた本ではなくて、同僚が勧めて貸してくれた本です。
 全然知らなかったけど、天才ですこの人。

 ただ、間違いなく天才でわれわれ凡人には逆立ちしたって書けないような絵(笑。あれを原稿にしてしまうのが天才)や着想のなかにも、小説らしくきっちり計算して物語を作りこんでる、いわゆる「誰でも努力で賄える」要素もきっちり詰めてくる。
 もともと天才のうえに努力も惜しまず、凡人には成すすべもない圧倒的な作品です。
 「何者」(朝井リョウ)のときみたいな嫉妬心さえ起こらない。

 内容はあちらの世界とこちらの世界を行き来する、ぶらんこ乗りのお話です。
 そう書くと村上春樹みたいな感じがする(ためしに、という訳ではないが貸してくれた人に「ちょっと村上春樹みたいやね」と言ってみた)が、同僚の言葉を借りれば「あんなのと一緒にしないでください」とのこと。
 たしかに。こっちがイチゴ、あっちはイチゴ味、て感じ。まー世間ではイチゴよりイチゴ味の方が人気だし、別にイチゴ味の方がノーベル賞とったって不思議はないが。

 天才は天才としか言えないので、ここに書くことはないが、あざとさについて書くことはできる。
 まず舌っ足らずな一人称。「私、」「(〜して)やった。」「〜だっけ。」の多用。中でも「私、」は徹底していて、行動についてはともかく、頭のなかの(〜思った)ことについて「私は」と書くことをしない。

 次に犬。あまりに賢すぎてさすがにあり得ないんだけど、言葉を介さずとも通じ合える関係を築くことで、声を失ったぶらんこ乗りとの関係に希望をもたせる役割も果たし、また犬であることで人間よりも通じ合えるという、質感を超えたところでのリアリティも帯びている。
 その名前も併せて、本作での天才ぶりが如何なく発揮されていて、私は主人公は「私」でも「弟」でもなくてこの犬だと思っている。

 子どもがサーカスに売られてぶらんこにされるとか、ローリングとか、無邪気なまでの残酷さもちょいちょい挟みつつ、弟と動物たちのやり取り、犬と私たちのやり取り、両親からの手紙と、フィクションを最大限に活かしてこちらの世界とあちらの世界(ティンブクトゥ!)の声を、言葉を、祈りを、交信させる。
 きっと届くという希望に読めるようにあざとさが働いているから、本作のあざとさは微塵もいやらしさを感じさせない。

 本作は読まないと人生損します。
 ついでに、「ティンブクトゥ」読んでから読むと1.5倍楽しめますよ。

2017年04月05日

ライブレポート その2

 ところで前回のライブレポートはまだ一曲目のサビまでしか進んでいない。
 4/1のパスピエTOUR DANDANANDDNA @なんばhatchでのこと。

 「名前のない鳥」を聴いている最中に、音楽の性質というか、本質というのか、がぐるぐる頭を回っていた。
 
 時の流れというのはものの考え方の話で、過去も未来も存在しない。
 あるのは常に流れ続ける「現在」だけだ。今というのは、いわば点だ。
 時が間を伴って、巾をもって捉えられる「時間」や、時の流れを線(状)として考えるのは、想像であって現存しない。
 ところが音楽はその想像を伴わないと本質を楽しむことはできない。すなわち旋律を奏でること、それを味わうことは、過去に鳴った音の連続(時間の巾)の吟味であり、かつ未来に鳴る音を想像し、それをも一体として愉しむことである。
 読書も映像も、スポーツ観戦も(動的である=時間の巾を要すると考えれば)変わらないと思われるかもしれないが、音楽はその成立じたいに時間の巾を要する。サッカーのシュートでボールが描く弧や直線はもちろん美しいが、それ自体がサッカーのすべてではない。

 舞台上で彼らは演奏を続けている。それが止まると音楽にならない。
 まったくもって当たり前のことだが、今までライブの最中にそれを痛感したことはなかった。
 つまり彼らが奏でる音楽が、私にとってとても音楽的に感じられたということだろう。

 その何曲かあと、「S.S」という曲でアレンジを加えた彼らは「ストップ!」という歌詞でぴたりとその動きを止めた。今流行りのストップ芸(?)みたいに。舞台上は見事に静まり返った。
 観客は落ち着きなく笑い声をあげたり歓声をあげたりしていたが、私はずっと黙っていた。
 舞台上の彼らに応じる最上の方法は観客全員が身じろぎもせず黙りこくっていることなのに、どうして分からないかな。酒を呷って騒ぎたいだけの馬鹿どもだから仕方ないな。

 私は「S.S」で彼らが見せたストップ芸はパフォーマンスであって芸術(私が上に書いたような音楽の成立に挑戦する試み)とは評価しない。私の想像上の停止の方がはるかに暴力的だった。
 もっとも、彼らは停止をも音楽の一部として構築する(音楽を奏でる)つもりで停止したのであって、音楽を止めるつもりで停まったわけではないのだから当たり前だが。
posted by あらやしき at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味2(邦楽など音楽) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月02日

等身大の自分なんて何処にも居なかった

パスピエ TOUR2017「DANDANANDDNA」(4/1 なんばHatch)

01 やまない声
02 とおりゃんせ
03 万華鏡
04 ヨアケマエ
(ご挨拶)
05 永すぎた春
06 ああ、無情
07 DISTANCE
08 名前のない鳥
09 マイ・フィクション
10 S.S
11 おいしい関係
12 トキノワ
13 メーデー
(MC)
14 ラストダンス
15 術中ハック
16 ハイパーリアリスト
17 MATATABISTEP
18 スーパーカー
--------------------
01 チャイナタウン
02 シネマ

 最近は開演前ギリギリに行くことが多かったけど、今回は番号が若かったので少し早く行った。もっとも、番号の前に「C−」とアルファベットがついてたので、あるいは、と思ったが案の定、「A−」「B−」が入ってからの案内で、全体としてみれば大して早い案内でもなかった。

 これは上手いやり方だと感心した。1859番とか言われたら開演時間でもまだ入れないんじゃないかと思ってまず30分より前に着くことはないけど、アルファベットごとに100番づつにすれば「R−59」となって、なんかよく分からんけど59番だったらそれなりじゃない? みたいになって、やっぱりちょっと早く行くだろう。
 どういう経緯でアルファベットを使ったのかは知らないけど、もしそれが理由なら上手い。ただ同じ手は二度と食わないけども。

 今更前で観たいという年齢ではないけど、きちんと並んで入ったこともあり、なんとなく前へ進んだ。ちょうど真ん中あたりに腰までくらいの壁があってその前に一部スペースがあったので、これ幸いともたれて観ることができた。いつも(GRAPEVINEのときなど)は最後方にいるのだが、ここは2階席がせり出していて1階の奥の方は天井が低く圧迫感があるので、その前に出られてありがたかった。
 しばらく経って、ちょうどそこだけ空いていたのは左右がそれぞれグループになって騒がしいからだと気付いた。たとえばこんな感じ。

 酒を飲んでも合法になってまだ数年であろう奴が酔っぱらって大声で言う。
「オレさ、こうやって(片手をあげて前後に振って)観るヤツ、なんなん? って思うんよ。」
 連れが周囲の視線を気にして慌てて止めに入る。
「まーそれは人それぞれやからさ」
 酔っぱらいは止まらない。
「自分ってもんがないんかな。周りに合わせてさ。オレはぜっったいやらんけどな。」

 そういう奴に限ってライト落ちただけでうれしがって前に行こうとやたらと人を押す迷惑な奴なんだ、などと思っていたら案の定、ライトが落ちただけでそいつ(ら)はすごい勢いで前の人たちを押しまくりながら進んで行って、開演直後に前が2メートル四方くらいぽっかりと空いた。
 自分ってもんがないんかな、と思いながら壁にもたれて観ていた。

 ――などと思っている間にイイ感じの音が鳴り始めて1曲目が始まった。
 なんかイイ音だなーと思ってるうちに歌が始まって、なんかイイ歌だなーとぼんやりしてるうちにサビにきた。自分ってもんがない人たちはすでにはるか前方で飛び跳ねながら手を振り回している(誰が誰かはわからない)。

 やまない声が僕の上に降り注ぐ

 なんだって? これ「やまない声」なのか!? 記事に書くほど好きな曲なのにサビに来るまで分からない自分って。
 自分ってもんがないのかもしれませんね。
posted by あらやしき at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味2(邦楽など音楽) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月31日

ティンブクトゥ

 
 いつまでもいつまでも一緒だったらうれしいけど
 どこまでもどこまでも一人きりだと思う時がある
 薄暗い明日に向かう逃亡者 逃亡者
Mr.Children「逃亡者」より

 「ティンブクトゥ」(ポール・オースター 著 柴田元幸 訳/新潮文庫)

 表現力(訳):★★★★
 総合 :★★★★
 
 去年の秋、10月頃から読み始めたので半年ほどかかった。
 年間20数冊、月2冊を目安と言いながらここまでで実質0冊とひどいことになっているが、この本がなかなか読み進められなかった。もっとも、他の本も同時進行で読んでいてそちらも未だに読み終えていないので、作品のせいではなく自身の問題だとは思っている。

 以上の流れから当然の感想になるが、あまり面白くなかった。犬好きでもなければあまり他人にお勧めしようとも思わない。だけど、あまり面白くないと感じる本を時間を無駄に費やしながらそれでも最後まで読み続けることも大事だと感じさせる作品ではあった。
 「良薬は口に苦し」というと(作品を読んだ感想から)語感がずれるのだが、面白い、すらすら読める作品やそういう行為(速読、的なあれこれ)がもてはやされるご時世だからこそ、なかなか減らないページをじっとこらえて読むことをしていた。

 後半は数日で読み切ったが、作品が読みやすかったためか、(春になって?)私に読む力が備わったのかは判然としない。作品の印象として特に後半が怒涛の展開だとは感じない。

 以前、同じ作者の作品(「偶然の音楽」)を読んだときに「アメリカ版『砂の女』だ」と書いたけど、今回はアメリカ版「吾輩は猫である」です。もちろんテーマも切り口も違うけど、その隔たりも含めて前回と同じ。
 身近なペットを主人公に据えて物語を構成するとどんな作品が描けるのか、洋の東西で考えることは同じなんだなあと感じました。奇しくもイヌvsネコのペット頂上対決でもある。
 余談ながら日本では漱石が小説で、歌川広重が絵で、ついでに町田康も、どうも猫の方が主流のように思います。イヌは海外作品のイメージがある。「フランダースの犬」とか、「スヌーピー」とか。

 さて作品の内容について、肝心のご主人様の最期を実は看取っていないというのが最後まで気にかかりました。ハエのシーンは明らかに力が入っていて、全編通じて非常に印象的なシーンだけど、あくまで夢です。
 文句を言いたいのではなく、源義経や織田信長みたいに、その最期がはっきりしない人物については伝説が生まれるなど、「ひょっとしたら生きてたかもしれない」という話が常に出てくる。本編でもしご主人様が旅立っていないとすれば、それ以降の主人公の心の拠り所も主題(ティンブクトゥ)も、何もかもが根底から覆る。

 むろん作品の流れどおり自然に読めば、どちらかの死以外で二人(一人と一匹)が離ればなれになることはあり得ないと言っていいほどだが、そういう(根底から覆る)仕掛けを施しているのもまた筆者で、この人の破壊衝動への方向性と破壊力を考えると決して偶然ではないだろう。
 つまり「ご主人様は一命をとりとめたにもかかわらず犬の方が先走りしてついに主人の元へ帰ることなく――」という、笑うに笑えない結末ともとれる、その仕掛けとしても作用するのがハエのシーンだということ。
 ここからは数日で読めますが、ここまでが半年かかりました(笑)

 最後に、この訳者さんがすごい。
 作者の意図を正確に汲んで日本語(というか日本人)にフィットするように訳してる(気がする)。行間に作者と作品への愛があふれている。もし私が英語を日本語と同じように読解できたとしても、原版だと最後まで読む気がしないと思う(直接的にはティンブクトゥが日本語に訳されてたら読む気がしない)。
 ポール・オースターが読みたいというよりも柴田さんの訳が読みたい。